古代および中世に断続的に営まれた集落遺跡。大字と小字を用いて「徳永法師ケ坪遺跡」とした。平成六年度に行った試掘調査の結果に基づいて、県営圃場整備椿市地区の工事に先立ち、遺構が削平される約二〇〇〇平方メートルについて記録がとられた。発掘調査が実施されたのは平成七年八月から一〇月にかけてで、徳永泉古墳の発掘と並行して行橋市教育委員会により調査が行われた。調査地の立地は、カルスト台地・平尾台の東麓で、叡山(えいのやま)の麓にのびる標高一三~一四メートル前後の丘陵南の裾部分に立地している。徳永地区集落の東側、所吉神社の南西側にあたる。調査された遺構は、古墳時代から中世にかけての遺構である。竪穴住居跡五軒、掘立柱建物跡二棟、土坑一四基、溝四条、柱穴群、そして特筆すべき採集遺物として緑釉陶器破片三点などがあった。当遺跡からは古代から中世にかけての集落分布と土地利用の一端を知ることができる調査成果が得られている。主な中世遺構について以下のものがある。
井戸→報告書で土坑としているが、井戸も含む。丘陵裾部分の湧水地点に掘り込まれている。主に一二世紀前後の井戸が主体である。井戸の遺構は、SK1・2・3・7・8・10・12の七基。SK10の井戸形態は、積み上げ式の曲物組型であり、直径の異なる二段の曲物が用いられている。土坑→土坑のうちSK13からは漆椀が出土。溝→溝と付した遺構は四条。瓦器、土師器小皿(糸切り底)・杯、龍泉窯系青磁椀片・白磁椀片〈玉縁口縁〉等の輸入陶磁器といった遺物が出土している。採集遺物→表土剥ぎ時の採集遺物には、龍泉窯系青磁皿などの輸入陶磁器類などがあり、一二~一三世紀代を主体とする。