古墳時代終末期頃(六世紀末~七世紀初め頃)の副室構造の横穴式石室墳である。馬具(花形杏葉、雲珠(うず)など)と円頭大刀を出土したことが特筆されるが、古墳内部・周辺からは中世遺構・遺物も発見されている。県営圃場整備椿市地区の工事に伴い、一五〇〇平方メートルが発掘調査された。調査は平成七年度で、調査主体は行橋市教育委員会。
当古墳は、福岡県教育委員会編『福岡県遺跡等分布地図(行橋市・京都郡編)』(一九七六年)に「金福寺古墳(遺跡番号140088)」と記載の周知遺跡。調査された遺構は、古墳一基(徳永泉古墳)、土坑(弥生時代貯蔵穴、中世土坑など)一四基、溝一〇条、柱穴群。
古くから石室が開口していたようで古代中世近世遺物(古代瓦、中世の須恵質の東播系捏鉢、土師器鍋片、白磁皿片、近世陶磁器[[擂鉢、椀など]])も出土した。隣接する小字名「金福寺」などから、信仰関連遺構の性格が推定される。