15 高来井正丸(たかくいしょまる)遺跡(行橋市大字高来字井正丸ほか)

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 弥生時代から近世にかけての複合遺跡で、主体は奈良・平安時代の集落跡と、鎌倉時代の集落跡である。遺跡は、京都平野西部の平尾台東麓にあり、塔ケ峰からのびる舌状の丘陵上に立地する。東側に京都平野を望み、北側には、平尾台の千仏谷を源とする小波瀬川が流れる。県営圃場整備事業椿市地区の工事に先立ち、平成九年度に発掘調査が行われた。標高三〇~三五メートル前後部分の遺構が調査された。調査面積は八六〇〇平方メートル。主な中世遺構・遺物として確認されたものについて以下に略述する。
中世掘立柱建物跡一五棟以上 井戸三基 墳墓二基/青磁、白磁、石鍋、砥石、烏帽子、刀子、鉄釘、輸入陶磁器、国産陶器

 1号墓(ST-1)から烏帽子一、刀子一、土師器小皿五枚、鉄釘が出土したことが特筆される。烏帽子は目の粗い絹に漆を塗ったもので、墓の中央部分で出土。墓の平面形は隅丸長方形だったと推定される。墓の年代は、副葬品の土師器小皿の法量(直径八・〇センチメートル)から、一三世紀後葉から一四世紀前葉頃と考えられる。
 なお、奈良・平安時代の掘立柱建物跡が比較的多く検出されている。豊前国京都郡には、諫山郷、本山郷、刈田郷、高来郷の四郷があった。当遺跡は、「高来郷」の中に位置したと考えられる。石帯の出土が特筆され、一般的な班田集落とは異なる様相の遺跡である。古代の石帯、中世の烏帽子、輸入陶磁器、常滑焼などの国産陶器の出土から、他の地域から物流のあった集落で、ある程度の階層の人々の存在を推測させる。
 
写真16 高来井正丸遺跡1号墓出土烏帽子
写真16 高来井正丸遺跡1号墓出土烏帽子