中世 | 掘立柱建物跡一五棟以上 井戸三基 墳墓二基/青磁、白磁、石鍋、砥石、烏帽子、刀子、鉄釘、輸入陶磁器、国産陶器 |
1号墓(ST-1)から烏帽子一、刀子一、土師器小皿五枚、鉄釘が出土したことが特筆される。烏帽子は目の粗い絹に漆を塗ったもので、墓の中央部分で出土。墓の平面形は隅丸長方形だったと推定される。墓の年代は、副葬品の土師器小皿の法量(直径八・〇センチメートル)から、一三世紀後葉から一四世紀前葉頃と考えられる。
なお、奈良・平安時代の掘立柱建物跡が比較的多く検出されている。豊前国京都郡には、諫山郷、本山郷、刈田郷、高来郷の四郷があった。当遺跡は、「高来郷」の中に位置したと考えられる。石帯の出土が特筆され、一般的な班田集落とは異なる様相の遺跡である。古代の石帯、中世の烏帽子、輸入陶磁器、常滑焼などの国産陶器の出土から、他の地域から物流のあった集落で、ある程度の階層の人々の存在を推測させる。