明石転封

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 元和元年(一六一五)七月一七日、小笠原秀政の遺領は忠政に与えられた(「信濃史料」第一八巻二二八頁)。同三年(一六一七)七月二八日、将軍・秀忠は忠政を京都二条城に呼び出し、一〇万石に加増の上、播州明石に移封を命じた。これを受けた忠政は松本に帰ることなく、そのまま明石へ向かっている。この時、大坂から海路明石へ向かったが、海のない信州の大名であった忠政は船を所持していなかったので、義理の兄(姉千代姫の婿)・細川忠利から船を借りたという(「信濃史料」第二二巻四八六頁)。また、開善寺・大隆寺・宗玄寺・法性寺・峯高寺といった小笠原家ゆかりの寺院も、信州から明石へ移った。