天保の頃(一八三〇~四四)、築城郡安武村(現築上郡築上町)に居住した医師に吉野良節という人物がいたが、彼の持つ家伝の秘薬は、「毒蛇・病犬」の特効薬であった(国作手永大庄屋天保八年日記六月二六日条)。
マムシやヤマカガシなどの毒蛇は、今よりたくさん生息していたであろうから、農作業中などに被害にあう人も多かったであろう。病犬とは、いわゆる「狂犬病」にかかった犬のことと思われる。言うまでもなく、これはウイルスによる犬の伝染病で、咬まれれば人や家畜にも伝染する恐ろしい病気である。中枢神経が侵されて、ひとたび発症すれば一〇〇%死に至る。江戸時代では、享保一七年(一七三二)や、安永年間(一七七二~八一)の大流行が知られている(幸いにも昭和三一年以来国内での発生例はない)。
吉野良節本人が言うには、毒蛇・病犬に咬まれた後、彼の薬を三日以内に服用すれば痛みが止まり、それから七日以内には全快する。その薬は、煎茶二〇貼(「貼」とは紙に包んだ薬を数える単位)、散薬(粉薬)九貼、膏薬三〇貼が七日分一セットであった。本当かどうか分からないが、この一セットの薬を使う「秘法」によって、「是迄壱人も療治仕損じ申さず(これまで一人も治らなかった者はいない)」というのである。
幕末の頃、仲津郡松原村(現行橋市)の医師に竹中養元という人物がいた。この竹中養元も家伝の秘薬を持っており、それは「産前薬・小児虫薬」であった。慶応二年(一八六六)、彼は貧困に苦しむ人に対して、この薬を施すことを藩に願い出、許可されている。産前薬は事情があって配られなかったが、小児虫薬は大庄屋・庄屋を通じて、仲津郡の村々に千貼を配布していることが確認できる(国作手永大庄屋慶応二年日記五月二六日条、七月一七日条、九月四日条)。