ウンカと言えば、稲虫(稲の害虫)の代表格で、米を主食とする日本人にとっては、憎き厄介者である。このことは、日本で米作りが始まった先史時代からそうであったろうし、防除技術が進展した今日においても、その脅威は無くなっていない。米作りの歴史は、一面でウンカなど稲虫との闘いの歴史でもあった。では、梅雨の頃に現れ始めるウンカは、一体どこから飛んでくるのだろうか。昔の人には、それがさっぱり分からなかった。
しかし、昔の人も、ウンカに関し、ある特有の現象に気が付いていた。それは、「南風が吹くと現れる」という事実である。天保一一年(一八四〇)、加賀藩の支藩・大聖寺藩は、農民四名を北部九州に派遣して、稲虫の防除技術などを聞き取り調査させている。その中で彼らは、南風と稲虫との関係を指摘する声を、いくつかの村で耳にしている(「九州表虫防方等聞合記」)。また江戸時代、小倉祇園社(現小倉城内の八坂神社。江戸時代は城下鋳物師町に所在)では、例年旧暦六月の祇園会の前に、稲虫退治の神事が行われたが、それは「虫風退除祈祷」または「蝗風退除祈祷」(蝗とはイナゴのことだが、この場合は稲虫の総称)と称し、やはり稲虫は風と関係ある、と考えられていた。
農民らの、なかば感覚的な経験則なのだが、実はこの観察は正しかった。昭和四二年(一九六七)、気象庁の観測船が紀伊半島潮岬沖の太平洋上で、北上するウンカの大群に遭遇した。この偶然をきっかけの一つに、実はウンカ類(トビイロウンカ、セジロウンカ)が国内で発生するのではなく、遠く熱帯・亜熱帯地方から季節風にのって移動を繰り返し、日本へ飛来する、という事実が判明したのであった。夏の南風は、やはり「虫風」「蝗風」だったのである。