虫送りでは、鉦・太鼓を打ち鳴らすと共に、夕刻ならば松明を灯し、大人も子どもも、こんな唱え言葉を大声で叫んだ。「実盛さんは ごー死んだ その虫は御供で アトツケ マンヅケ エイホイ ワーイ」(築上郡文化財協議会『ふるさとのうた』)。唱え言葉は地域によって様々なパターンがあるが、長年大声で叫んでいるうちに訛伝されることが多かった。「実盛さんは ごー死んだ」は、他地域のものと比較して考えると、もとは「実盛さんは御陣だ」であったろう。実盛さんとは、平安末期に実在の武将・斎藤実盛のことである。虫送りに実盛人形を作るのは、斎藤実盛が稲の切り株に足をとられて転んだため敵に討たれ、その恨みで稲虫になった、という西日本を中心に流布する俗信による。稲虫の大将・実盛さんに虫の災いを託し、村境の外へ追い払うのである。
では、実盛人形・鉦・太鼓・喊声、そして松明の火で行う虫送りに実効はあったのだろうか。
残念ながら、ウンカが音に驚いたり、ましてや大音量のため悶死するようなことは、まず無いらしい。また、松明の火に飛び込む虫がいても、そんなものは全体から見ればわずかなものであった。すなわち、虫送りは「おまじない」でしかなかったのだ。