注油法

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 底にごく小さな穴をあけた竹筒を用意し、中に油を満たす。それを持って田に入り、油滴を落としながら歩き回って、田一面に油膜を張る。そして、稲の穂先を箒や竹竿などでなでると、ウンカなどの稲虫は油膜の上に落ち、油まみれで息ができず、絶命。年輩の方は憶えている方も多いであろう。昭和二〇年代あたりまで、どの地域でも行われていた、油を使った稲虫退治の方法である。
 この稲虫退治法「以下、「注油法」と呼ぶ)は効果が高く、昭和二〇年代に農薬が登場するまで、最も実効性のある除虫技術として広く行われていた。経験者に尋ねると、油種は重油やエンジンオイルの廃油など、石油系のものを多く使ったが、それは経験者の語る大正~昭和初期の話で、もっと以前は、植物性あるいは動物性の油を使った。とりわけ、注油法には鯨の脂肪油、つまり鯨油が最も適しているとされていた。
 注油法が、いつ、どこで、誰が発明したのか、確実なところは分からないが、筑前地方には、注油法発見の言い伝えがいくつか伝承されている。中でも筑前国遠賀郡立屋敷村(現遠賀郡水巻町)の蔵富吉右衛門が寛文一〇年(一六七〇)に発見した、という伝説が、発見年代を伝えるものとして最も古いらしい(伊藤清司「サネモリ起源考」)。また、その伝説によると、注油法の技術は蔵富吉右衛門の生前には周囲に認められず、没後百年以上を経た寛政期(一七八九~一八〇一)に至って、ようやく筑前国中に広まり、やがて中国・四国にまで伝播した、という(「水巻町誌」)。