一 | 、虫気ノ田ニ鯨油壱反ニ付弐合宛入見申候へと仰せ付けられ候、ひ(冷)へ申候田ニハ、水を引干候様ニと仰せられ候 |
(安武手永大庄屋享保一七年日記七月七日条) |
つまり、小倉藩領に注油法が伝播したのは、これより以前ということになる。鯨油の使用量について、一反(一〇アール)あたり二合(〇・三六リットル)としているが、一般的には三合が標準で、状況によって一~五合の範囲で調整したらしい(小西正泰「ウンカの特効農薬」)。史料後半部を見ると、「水温の低い田には水を入れて干せ」と指示されている。干すというのは、「陽に当てる=暖める」といった意味であろう。田の水が冷たいと、うまく油膜が張れず、効果が薄くなってしまうのではなかろうか。