農書の役割

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 発見者、発明者が誰であれ、注油法のような農業技術の伝播に、「農書」が大きな役割を果たすのが江戸時代の特徴の一つと言える。農書とは農業技術の啓蒙のために著された書物であるが、こういった農業の技術書を文化として伝えているのは、西ヨーロッパ諸国と中国・朝鮮それと日本だけである。江戸時代の農学者としては、宮崎安貞(一六二三~九七)や大蔵永常(一七六八~没年不詳)らがよく知られているが、彼らの著した農書は小倉藩領でも広く読まれていた。例えば、安政二年(一八五五)二月、郡代役所(郡方役所ともいう)から、仲津郡筋奉行・三宅圓司を通じて、同郡大庄屋中へ『農家調宝記付録』と『除蝗録』が、各一冊ずつ与えられた。これを村々の庄屋たちへ申し聞かせ、虫除けの手当を怠りなく行うように、との指示であった(長井手永大庄屋安政二年日記二月一七日条)。『除蝗録』は大蔵永常が文政九年(一八二六)に著したもので、注油法など病害虫の防・駆除法を説いたものとして、あまりにもよく知られた農書である。『農家調宝記』とは、大蔵永常の著作を引用・孫引きした木版本で、いわば「海賊版」であった。
 文字による農業技術の伝播は、口伝えによるものとは比較にならないほど正確に、早く、広い範囲に及ぶものであったろう。そもそも注油法自体、農書を媒体として、遠く中国から伝わってきたとする説がある。