昭和三五年の溜め池と井堰

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 江戸時代の利水状況を検討する前に、昭和三五年(一九六〇)当時の本市域にはどれぐらいの井堰とため池があったのか、という点について考えてみたい。
 図17は、『用水恒久対策調査報告書 第4号 京築地域における井堰とため池』付録の「井堰・溜め池位置図」に、同書に記載する井堰やため池の名称を書き入れてみたものである。なお、行橋市域では、昭和三三年から三年続きの大干害を経験しており、農業用水を確保するために池を新設するなどの対策をとったという。そこで、本図中にもこの時期に新設された池や井堰がかなりあると思われるが、現時点では、どの池が昭和三三年から三五年に新設されたものであるか確定できない。また、大橋を中心とする都市の発達や地域開発ないしは住宅地の建設などによって、この時点までに消滅してしまった井堰や池もあるのではないだろうか。
 
図17 昭和35年頃の井堰と溜め池
図17 昭和35年頃の井堰と溜め池
(注)矢印は井堰における取水の向きで、小文字はその名称である。
  大文字は池の名称。小さな池は名称のみを記した。
  本図の原典は福岡県企画室の『用水恒久対策調査報告書』第4号の付録図である。

 以上のことを念頭に置きながら、以下本市域内の江戸時代における利水状況について検討しよう。
 まず、図17から、本市域内を流れている主な河川を書きあげると、次に示すとおりである。
 
  長峡川   長峡川と合流する小波瀬川
  小波瀬川と合流する河内川・古野川
  長峡川と合流する山崎川・柵見川
  柵見川と合流する孫目川
  長峡川と合流する井尻川
  井尻川と合流する住吉川・中原川・佐屋ケ谷川
  今川   江尻川   羽口川   祓川
  祓川と合流する宮下川・江向川
  周防灘に流れ込む長野間川
  長野間川と合流する前田川
  周防灘に流れ込む音無川

 
 本市域には、大小合わせて実に二〇本もの河川が流れており、名称も記されていない支流を加えると、さらに数が増える。周防灘に面するこの地域は山がちで、山間の河川は急勾配を流れ下り周防灘に落ち込むことから、農業用水に川の水を利用することは困難である。そこで、溜め池を築き、いったんそこに貯めた水を農業用水として利用している地域が多い(椎田町はその典型的な例である)。
 しかしながら、本市域内には長峡川や今川、祓川などがつくりだした沖積平野が広がり、なだらかな河川も多い。したがって、江戸時代においても、河川からかなりの農業用水を確保したと考えられるが、一方では溜め池もまた多く築かれている。ただし、江戸時代からある井堰や溜め池は、史料の制限によってほとんど確認できず、図17中の※印をつけたものだけが江戸時代から利用されてきた井堰・溜め池である。名称を掲げると、井堰では大橋村の「御蔵下」と「辰」の二井堰、溜め池では「鴫(鴫山)池」、「津留池」、「長池」、「泉(釜割)池」、「浦の池」、「松田池」、「天生田池」と、『中村平左衛門日記』に記す「大首池」の八池がそれである。