清兵衛新地

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 清兵衛新地は、仲津郡真菰村住人・奥清右衛門が藩に寄進した一五〇石の米を原資とし、天明八年(一七八八)に同郡今井村祓川筋の浜手に土手を築き田地を開いたものである。干拓面積は一〇町八反七畝一九歩、石高八〇石五斗六升七合であったという。「清兵衛」は彼の若年の頃の名前というが、一説には彼の父も清兵衛を名乗ったというから(「孝義旌表録」)、家督相続の際に名前も継承したのであろうか。ただ、干拓地の名称は「清右衛門新地」とするよう藩から命じられたといい(同前史料)、だとすればそれが正式名称ということになるはずだが、現在は若年の頃の名前を冠した別名でしか呼ばれていない。
 いずれにせよ、地名に個人名を冠していることから、奥清右衛門自身がそれを行ったように解釈されがちであるが、干拓はあくまでも藩営であり、清右衛門が藩へ寄進した米一五〇石を原資に干拓が行われた、その旌表(善行を称える)のために命名されたものであった。