正保・元禄・天保の国絵図三時点変化

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 これまで石高について国高および郡高の変化はすでに述べた。ここでは新村として独立した村々から見ることにする(表5)。
 
表5 正保・元禄・天保絵図に見る村々の石高
旧郡旧村村名正保絵図元禄絵図天保絵図正保元禄同増加率元禄天保同増加率
京都郡椿市村入覚7807861,18360.839750.5
  矢山107311763630.04460.3
  高来28028341131.112845.2
  福丸230220357-10-4.313762.3
  須磨園17017625963.58347.2
  徳永300278443-22-7.316559.4
  常松808111811.33745.7
  長尾17017227121.29957.6
  下崎510468728-42-8.226055.6
 延永村長木330305490-25-7.618560.7
  二塚360353529-7-1.917649.9
  吉国300312460124.014847.4
  延永540552792122.224043.5
  草野550434686-116-21.125258.1
  長音寺115167115 5245.2
 稗田村上稗田590584994-61.041070.2
  下稗田9408781384-62-6.650657.6
  上津熊17017625763.58146.0
  下津熊431139207-292-67.76848.9
  中津熊380560380 18047.4
  上検地580375546-205-35.317145.6
  下検地212308212 9645.3
  中川19019127810.58745.5
  大谷410393588-17-4.119549.6
  西谷45045352130.76815.0
  津積34034155510.321462.8
 行橋町行事650414993-236-36.3579139.9
仲津郡 大橋1,4401,1582,424-282-19.61,266109.3
  宮市410444618348.317439.2
 今川村大野井7507991,102496.530337.9
  寺畔410348479-62-15.113137.6
  宝山430461615317.215433.4
  流末3504135816318.016840.7
  天生田580632877529.024538.8
  矢留3503876103710.622357.6
 泉村竹並390410509205.19924.1
  福富29040755611740.314936.6
  柳井田200212402126.019089.6
  平島420400562-20-4.816240.5
  竹田100270365170170.09535.2
  長江290271367-19-6.69635.4
  崎野240263362239.69937.6
  小犬丸1902102902010.58038.1
  羽根木25037347512349.210227.3
 祓郷村草場570611823417.221234.7
  袋迫50-50-100.0  
 今元村金屋130100713-30-23.1613613.0
  今井8406251,066-215-25.644170.6
  真菰134183134 4936.6
  津留460500718408.721843.6
  元永9108781,452-32-3.557465.4
  沓尾224522 23104.5
 仲津村馬場410256348-154-37.69235.9
  高瀬340362507226.514540.1
  辻垣190200307105.310753.5
  道場寺560480846-80-14.336676.3
  稲童670692972223.328040.5
  松原39039558051.318546.8
 蓑島村蓑島101730770.01376.5
合計  219812187433,986-107-0.51211255.4
出典:各国絵図ならびに郷帳、参考:『福岡県の地名』2004、『京都郡誌』1975、『行橋市史』1984

 村々の石高については、第二章第二節に「表1 行橋市域内農村の石高推移」を紹介しているが、ここでは三時点の国絵図の性格ならびに村々の背景をも考察する意図から掲載した。
 正保国絵図にはなかった村が元禄国絵図に現れ、新村として独立した村としては、京都郡では長音寺村が草野村から新村として独立し、同様に中津熊村が下津熊村より分離し、下検地村が上検地村より分離して新村として独立している。仲津郡では真菰村が今井村から、沓尾村が元永村より分離して独立した。一方、袋迫村は「徳永の内袋迫」として吸収されている。
 元禄国絵図から天保国絵図への変化では、新村の出現は京都郡および仲津郡では見られなかった。
 次に、村々の石高の変化について見てみよう。
 まず、正保図に対する元禄図で増加率が高かったのは、矢山村の六三石(六三〇%)、竹田村の一七〇石増(一七〇%)、蓑島村の七石増(七〇%)の順であり、矢山と竹田は農村として新田開墾が進み、蓑島は漁村として成長する中での石高増加と見える。
 一方、郡高では殆ど変化がなかったにもかかわらず、著しく減少したのは、徳永村に含まれた袋迫村五〇石減(一〇〇%減)、中津熊村に分離した下津熊村二九二石減(六七・七%減)、下検地に分離した上検地二〇五石減(三五・三%減)などであった。
 元禄図に対する天保図では、全村で一万二一一二石(五五・四%)と大きく増加している。その最も大きな要因は、先に述べた表高から実高への変更である。なかでも大きな増加を示した村として、金屋村六一三石増(六一三%)、行事村五七九石増(一三九・九%)、大橋村一二六六石増(一〇九・三%)、沓尾村二三石増(一〇四・五%)、蓑島村一三石増(七六・五%)、今井村四四一石増(七〇・六%)、上稗田村四一〇石増(七〇・二%)、元永村五七四石増(六五・四%)と続く。これらの村々は実高に加え、新田開発および新村として独立後の開墾による増加と考えられる。
 他方、変化が比較的に少なかったのは、西谷村六八石(一五・〇%)、竹並村九九石(二四・一%)、羽根木村一〇二石(二七・三%)であった。