仲津郡大橋村(現行橋市大橋一丁目-三丁目ほか)は、北に長峡川(行事川)、南に今川が流れる、標高三メートル前後の沖積地に位置し、江戸時代には沖津郡最大の村であるとともに、長峡川対岸の行事村と一体になって領内屈指の商業圏をなしていた。
大橋の名は中世の史料にも散見され、中でも正応四年(一二九一)の史料に、宇都宮氏の給地として出てくるのが初見である(宇都宮文書・鎌倉遺文二三)。また、一五世紀末の史料では、大橋が倉敷(荘園から年貢を輸送する際、一時保管しておく場所)として機能していたことが記されているので、この頃すでに港湾として発達していたことが推測されている(平凡社『福岡県の地名』)。