口上覚 |
国作村大庄屋役宅、近年住居仕らず大破に及び、年々少々ずつの手入れ仕り候ても次第に朽ち損じ、柱替え仕り候も難渋の手永、其の上当時大橋村へ仮成りの役宅御座候て、同所へ住居致され候間、年々手入れだけ費相立ち候に付き、解体仕り薪番共に売り払い代札備え置き候は、追々新規建て方出来仕るべく存じ奉り候間、別紙願書差し上げ申し候、何卒願いの通り御聞き通り仰せ付けられ下さるべく候、其のため書付を以って申し上げ候、以上 |
酉三月 国作手永庄屋惣代 |
国分村 平兵衛 |
右同 徳政村 快助 |
右同 大橋村 治右衛門 |
(国作手永大庄屋文久元年日記三月二四日条) |
大橋村に設けられた役宅が借家であったことは他の史料から確認できるところである(「仮成」は、「一通りのもの」という意味と「仮の」という意味を掛けているのかもしれない)。また、この口上覚とともに提出された解体の願書から、役宅が八間半×三間(庇付き)の規模であったことが分かる。この解体申請は三月二八日付で許可された(同前三月二八日条)。