① | 現在の大庄屋役宅は借家で、手狭であり、家賃が必要である。 |
② | 古材を使って大橋村の空き地に新規に建設したい。 |
③ | そうすれば、これまで同じく借家をしていた手永屋(手永宿ともいう。家賃米六石)を一緒にすればいい。そうすれば便利もよく、家賃もかからなくなる。 |
(国作手永大庄屋文久二年日記三月一三日条) |
新規建設といっても古材を使用するわけであるが、この古材は国作村の旧役宅のものを使用するつもりだったようである。だから当然かもしれないが、新しい役宅もほぼ旧役宅と同じ規模で、九間×四間の草葺きであった(同前)。同年九月二六日、この新役宅の棟上げが行われている(同前九月二六日条)。建設場所は、中津往来沿いで飯埜伴右衛門宅の斜め前、現在の行橋市中央一丁目三番地五号付近である。
国作治右衛門役宅
現行橋市中央1丁目3番地5号付近に所在した国作手永大庄屋役宅。
国作治右衛門とは、最後の国作手永大庄屋・白石治右衛門のこと。
(慶応4年「大橋村 行事村 宮市村見取図」行橋市歴史資料館所蔵)