大橋村には、仲津郡各手永の「手永宿」があった。手永宿とは各手永の出張所であり、「大橋村 行事村 宮市村見取図」(口絵)を見ると、節丸・平嶋の各手永は浄蓮寺門前、長井は国作手永大庄屋役宅(文久年間新築)の三軒東にそれぞれ所在し、理由は分からないが元永手永の手永宿は見当たらない。距離的に大橋から遠くないためであろうか。
国作手永の手永宿は、前述したように米六石で借家をしていたが、文久年間に大庄屋役宅を大橋に新築した際、それに手永宿の機能を兼ねさせることとした。その大庄屋役宅が新築されるまでの手永宿(借家)は、嘉永七年(一八五四)までは旧縁寺門前の油屋に間借りしていたのであるが、同年一二月に郡奉行より使用を差し止められる(国作手永大庄屋嘉永七年日記一二月晦日条)。それ以後文久年間まで、借家の手永宿がどこに置かれたかは未詳である。