牢屋

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 「大橋村 行事村 宮市村見取図」を見ると、大橋御蔵の脇に牢屋がある。京都郡の行事御蔵も同じである。実は、蔵と牢屋というのは無関係のようで深い縁がある。例えば村で法度に背いたり、秩序を乱す行為をする者が出た場合、その者を村にある共同の蔵に幽閉する刑罰を科すことがある。信州のある地域では、その刑罰を「蔵込(くらごめ)」と呼んだが、福岡藩では蔵の前に「縛り柱」を立てておいて、年貢未進者をそれに縛ったり、年貢納入に不正があった場合などは蔵の中に押し込めたという(大塚英二「御蔵・郷蔵にみる近世社会の構造」『新しい近世史4』新人物往来社・一九九六)。
 想像であるが、小倉藩でもある時期まで、御蔵所を蔵込の刑罰を科すのに使用していたことはないだろうか。それがいつの頃か行われなくなり、かわりに御蔵所脇に独立した牢屋が建てられたのではなかろうか。大橋・行事ともに、御蔵所と牢屋がセットになっているのは偶然ではないように思う。
 
写真11 大橋の牢屋
写真11 大橋の牢屋
御蔵所に隣接していた。(慶応4年「大橋村 行事村 宮市村見取図」行橋市歴史資料館所蔵)