人畜改帳に見える町

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 大橋・行事が在郷町であることは、旅行者の目からも明らかであったが、いつ頃に形成されたものであろうか。近世初頭、細川二代藩主忠利時代の元和八年(一六二二)に調査された「小倉藩人畜改帳」から、京都郡および仲津郡における農業以外の職種者を摘出・整理したのが、表6と表7である。
表6 元和8年(1622)京都郡職種一覧
村名上久保宮原長川菩提法正寺行事吉国下稗田苅田町浜町合計
職種
水夫     5  10217
鍛治21111 11 210
大工1      1 舟 13
塩売        41647
出典:「小倉藩人畜改帳」

表7 元和8年(1622)仲津郡職種一覧
村名元永沓尾浦大橋蓑島浦今居下伊良原崎山国分上高屋津留花熊古川山鹿矢留小犬丸徳永福光合計
職種
水夫 6 30              36
鍛治1 21 1111 1112111117
大工鋤さし1        鋤さし1        2
塩売    15             15
出典:「小倉藩人畜改帳」

 京都郡においては、「鍛冶」職人は極めて少人数ながらも、比較的各村に居住しているが、その他の職種は限定されている。そして商人とおぼしき職種は「塩売」だけで、それも隣町域の苅田町村と浜町に限られ、当市域の村には見当たらない。その苅田町・浜町と同じく、行事村にのみ「水夫」五名の記載があることには注意しておかねばなるまい。
 仲津郡においても、「鍛冶」職人は各村に記載が見えており、村内で必要とされる農具を供給しているものと思われる。多量に生産して、他村まで広域に販売するほどのものではなかろう。「塩売」は今居(今井)村のみで、大橋村には商人の記載はない。「水夫」は蓑島浦(三〇人)と沓尾浦(六人)に見えるが、数の上では行事村・苅田町・浜町などと比べても、蓑島浦が圧倒的に多い。
 同年の人畜調査は、小倉城下町と、初代藩主だった三斎(忠興)の隠居領(中津城を含む)など一部を除外しているが、ほぼ藩領全域にわたるものである。同改帳で、地名に「町」が付けられている在郷は次の通りである(豊前国域のみ)。
 
  規矩郡至津内新町・かわら焼町・葛原新町・湯川町・新町・馬寄新町・馬寄内原町・大裏町・門司町・長浜ノ新町
  田川郡弁城新町新所・伊方新町・下香春町・香春町・採銅所町・宮尾弓削田新町・猪膝町
  京都郡浜町

 
 なお右以外に、京都郡の「苅田町」と上毛郡の「清水町」には町名の後に「村」の文字が付けられている。築城・下毛郡・宇佐郡では「町」名はない。そして、右各町の住人で「町人」の肩書が付いているのは、田川郡のみで、他は「百姓」や「加子」・「鍛冶」・「紺屋」などの職人名義しか見えない。また、田川郡の事例では、職人は「町人」とは別扱いである。