町人の出自

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 先に、小倉藩一番の町場である、小倉城下町商人の出自や経歴を見ておくことにする(表8)。史料は『小倉商家由緒記』で、ここに収録されている商家は七一軒である。同史料の成立は、天明から寛政初年頃(一八世紀末)と推測されており、また収録商家は小笠原氏の小倉入城時に商家になっていたもの、およびその別家である。途中で断絶したもの、新興の商家は含まれていない。すなわち、連綿とした由緒を誇る旧家ということになる。
 
表8 小倉城下町商家の来歴
商家名来歴商家名来歴
播磨屋太郎兵衛明石から小笠原氏に供奉伊賀屋九右衛門細川氏時代から小倉居住
葡萄屋治兵衛伊賀屋伝兵衛同別家
樽屋嘉右衛門伊賀屋十兵衛同別家
樽屋徳兵衛伊賀屋九郎兵衛同別家
樽屋勘次郎同別家伊賀屋平兵衛同別家
樽屋善助同別家油屋善六細川氏時代から小倉居住
樽屋甚兵衛家臣丹村氏末子森口屋安左衛門
三木屋善四郎家臣赤木氏弟小西源兵衛
昆布屋和右衛門明石から小笠原氏に供奉油屋平作
明石屋源右衛門鶴屋孫兵衛
播磨屋庄吉米屋平右衛門
綿屋四郎兵衛姫路屋四郎右衛門
米屋新蔵中津屋忠左衛門
木屋九兵衛小倉居住福田屋甚助
升屋卯助小倉居住大工庄五郎
村屋新蔵小倉居住奥屋喜十郎
蔵本市右衛門小倉居住酢屋吉左衛門
紅屋勘兵衛細川氏時代から小倉居住広島屋作平次
同甚四郎同別家海士屋十右衛門
大坂屋善助毛利勝信家臣浪人宇治屋金七
灰屋小三郎小倉居住石火屋九助
渋屋彦六毛利勝信家臣浪人鞆屋藤七
粕屋吉兵衛小倉居住紙屋常五郎
住吉屋源七 平野屋平七
新屋興左衛門細川氏時代から小倉居住伊崎屋庄助
網干屋彦四郎唐津屋市郎兵衛
網干屋喜右衛門亀屋吉三郎毛利勝信一族
炭屋清兵衛細川家臣博多屋又七細川氏時代から小倉居住
鶴屋弥吉筆屋七左衛門
亀屋利兵衛細川氏時代から小倉居住丸屋伝七明石から小笠原氏に供奉
素麺屋助右衛門細川家臣浪人菊原彦七小倉居住
銭屋万五郎細川氏時代から小倉居住富田屋七右衛門
久屋清右衛門平野屋弥吉細川氏時代から小倉居住
大道九兵衛若松屋小平次
麹屋嘉六紙屋市右衛門明石から小笠原氏に供奉
間武屋正助  
出典:『小倉商家由緒記』

 その七一軒のうち、細川氏入城以前からの商家は八軒、細川氏時代から小倉に居住した商家は、のちの別家も含めると四一軒。次の小笠原氏に供奉して明石から移住した商家は、別家も含めて一三軒である。長年の間に盛衰はあろうが、細川氏の小倉入城と城下町建設によって、町場が拡張し、城主の転封に追従する商人の移住が多く見られたことは確かであろう。なお、武士から商人に転職した家は八軒を数える。
 「細川氏時代から小倉居住」商家の中で、米屋平右衛門家の場合は、先祖は城井城主であった宇都宮氏従者であった。宇都宮家滅亡後は一時流浪したが、天正一七年(一五八九)に大橋村に居を定め、細川氏入部時の慶長年間に、小倉城下の東鍛冶町に転居して商家となったという。