藩はこれより先の天保四年(一八三三)八月、商売「御免札」の許可条件として、次のように達していた(「国作手永大庄屋日記」)。
宿町の外是迄百姓分のもの、病身申立て、御免札を以て小商いたし来り候者ども、田畠三反宛は作方申付べく候、商計ニて作方致さず候ものどもハ、已来御免札取揚げ申すべき事
すなわち、「宿町」以外に居住する「百姓」名義の者で、病気を理由に鑑札を受けて商売をしていても、田畑三反は耕作をしなければならない。商売だけのものは、鑑札を取り上げるというのである。商売だけで生計をたてることが認められているのは、「宿場」と「町場」に限られていた。一般の農村では、まず田畑の耕作が優先し、商売はその補完に必要範囲で許可されるものということになる。ただし、「宿町」であっても、村方の人口が少ない場合は、一般の村と同様に、三反の田畑耕作を求められた。