今川の利用

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 長峡川ほどではないが、英彦山に源を発し、赤村・犀川町を経て行橋市で周防灘に河口を開く今川も、仲津郡産物の輸送に利用されている。『犀川町誌』から水運の様子を概観すると、次のようである。
 確かなところでは天保六年(一八三五)に、長井手永の川舟一二艘が、「運上銀」として銭一八貫四〇〇文を納めて、大橋村の河口まで下っている。長井手永の川舟数は、嘉永元年(一八四八)に一四艘、安政四年(一八五七)には二二艘と増加しており、川舟輸送が次第に盛んになったことが窺える。田川郡からも、今川を利用した産物輸送が期待されたようで、杉生十右衛門が郡代であった文政年間(一八一八~三〇)に、上流の難所である石坂(田川郡赤村)の開削工事が手がけられた。のち文久元年(一八六一)に一二月に完成し、田川郡年貢米の一部を、今川を積下して行事村の蔵所まで運ぶようになった。
 
     ⇒「大橋村 行事村 宮市村見取図」を見る…今川