舟路川の利用

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 今川から長峡川岸の行事蔵までは舟路川を利用するが、舟路川(ふなじがわ)の通船がいつ始まったのか定かではない。ただし安政元年(一八五四)に、通船便利のために、舟路川の一部を修理したことが分かっている。大橋村百姓申請(「国作手永大庄屋日記」)の要点を抜粋すると、次のようである。
 
当村門樋船通溝曲り強く、別て正八幡宮馬場先は地高く、往来道は低く御座候て、石橋掛方都合宜しからず、今川の水門樋より流込み候間合短く、水勢強く、出水の度毎突崩し、当惑仕り候……船通溝真直ニ堀替え、地盤の溝は此節堀上の土を以て埋方仕り、新溝床の替ニ御田地相開き申し度、存じ奉り候

 
 舟路川の溝筋に関しては、正八幡宮(しょうはちまんぐう)の馬場辺の曲がりが強く、洪水の度に溝が崩壊するので、真直ぐに掘り直したいというのである。これからすると、舟路川は安政元年以前に水運に利用されていたが、溝筋の湾曲のため、効率は悪かったものと推測される。有効に機能するのは、この後であろう。
 
     ⇒「大橋村 行事村 宮市村見取図」を見る…舟路川