文政期の国産仕法

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 文政一〇年(一八二七)一一月小倉藩は、領内産物の掌握を企画して、次のような通達(「御用廻文写」六角文書)を出した。要約すると、
 
大坂に回送せずに、隣国や他郡に産物を販売する場合、国産会所に出向いて値段などを決定し、売り先についても指図をうけること。
産物の仕入れに際して、「御元方」役所から藩札を貸与する。産物を所持している者は、会所に持ち込み、「相応の見込み」で代金を為替で受け取ること。正銀貨を必要とする者には、「銀書替」を渡すので、これを両替所に持ち込んで両替すること。
抜売りをする者は厳科に処す。
産物を所持していながら、「無之」などと偽る者には探りをいれ、露見すれば厳科に処す。

 
 田川郡の例では、文政一〇年に同郡内二カ所に国産会所が設置され、その運用は大庄屋に任されていたようである。当地方においても同様の仕法が組まれていたものと思われるが、右通達の意図するところは何だったのであろうか。
 右通達の内容は、大坂回送以外の産物販売と、在村産物の有無掌握に関するものである。この通達以前の同年正月、藩は次のような触(「国作手永大庄屋日記」)を出していた。
 
領内で生産する米穀は、年貢以外はすべて「人民」の食料である。ところが、勘定高い商人たちは安価に米穀を買い集め、これを領外に売りさばいている。そのため、わずかの凶作でも飢餓に苦しむ者もいる。農民たちは、雑用や小遣いのための銀貨を得るには、「国産」品を売るか、食料の余分を販売し、その代銀札を使用すれば不足はないはずである。それらの産物も、領外で販売する必要はなく、領内の寺社・医者・職人・漁人・商人・酒屋など、農業を営まずに「買喰の者」に売り捌けばよい。
米穀の他領積出は、今年の春・夏の作付け状態に安心できるまで禁止する。銀札が必要なものは、藩に米穀の「御買上げ」を願い出ること。
どうしても他領積出しをしなければならない場合は、その旨を願出、「御法通」りの運上銀を納めること。

 
 すなわち、領内の産物で、生産者の手元に残っている分は、できるだけ領内の非農業民に販売し、銀札を入手したい者については藩が産物を買い上げる。やむをえない事情に限って領外への産物輸送を認めるが、その際には規定の運上銀を徴収する、というのである。藩としては、領内の食料確保とともに、大坂回送以外の産物についても、その所在と、運上銀の徴収を厳格にすることを主眼にしたのである。そのためには、日常的に生産者農民を統制する立場にある大庄屋に国産会所の運営を委ねたのは、賢明な方法だったと言えよう。