商人私札の発行

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 天保年間に、城下町商人以外にも、在郷有力商人による貨幣代用の札(私札)が発行された。当市域について見ると、行事村の飴屋と新屋、大橋村の柏屋がある。私札発行の経緯について、飴屋の場合は、札発行の当初藩に銀三〇〇貫目を「御用借」として貸与したことで、その見返りとして同額の私札発行が認められたようである。またその背景としては、藩の国産仕法に関与する商人たちに農産物買い集め資金の捻出方法として許可されたことも推測される。
 飴屋札については、現存する札から発行時期が三期にわたることが分かる(口絵写真参照)。第一次発行のものには発行年がないが、二次の札の裏面には「天保六年乙未秋改」とあり、「京都郡限通用」と通用範囲を限定する文言も刷り込まれている。二次の札は、一次札の書体や形式を踏襲しているが、三次札は全く様式が異なっている。これは大坂心斎橋近くに店を構える西海堂美濃屋清助が版木を拵えたもののようである。また飴屋札の特徴としては、他の商家の札の額面が銭で表示されているのに対して、銀高表示になっていることである。伝存する飴屋札から発行額面の種類を見ると、最高額一〇目で、以下五匁・一匁・五分・三分・二分となる。これは藩札の額面と競合しており、通用面では藩札を圧倒したことも推測される。なお飴屋における札摺立ての様子は、表16・17のようで、年末から年始にかけ摺られていることが窺える。
表16 天保八年飴屋札摺立一覧
内訳二分札三分札摺札枚数摺札総額備考
月日摺札悪札摺札悪札
   
二、一〇六五四三四七四六一一二二七匁一分 
一一五八七一三  五八七一一七、四 
一二  五六四三六五六四一六九、二 
一三七一六三四  七一六一四三、二五〇〇枚出
一四  六三二一八六三二一八九、六五〇〇枚出
一五四八〇二六  四八〇九六、 
一六  三九七三九七一一九、一 
一七二八三一二  二八三五六、六 
一八       
一九  三九二三九二一一七、六 
二〇       
二一       
二二       
二三五八四一六  五八四一一六、八 
二四  七八〇二〇七八〇二三四、五〇〇枚出
二五六九一  六九一一三八、二 
二六  六七一二九六七一二〇一、三 
二七五八九一一  五八九一一七、八 
二八  五八三一七五八三一七四、九 
二九       
三、 一四八七一三  四八七九七、四 
  五八七一三五八七一七六、一 
三九二  三九二七八、四 
       
  五八五一五五八五一七五、五 
       
四八四一六  四八四九六、八 
  三五五三五五一〇六、五 
小計五、三五八枚二〇一枚五、五九三枚二一二枚一〇、九五一枚(七四九) 
二貫七五三匁五分 
一二、一四一八四一六  一八四三六、八 
一五 三九二三九二一一七、六 
一六三九六九二四八八一〇六、八 
一七       
一八二三三一七  二三三四六、六 
一九       
二〇       
二一  一四七一四七四四、一 
二二       
二三一九八  一九八三九、六 
小計一、〇一一枚三九枚六三一枚一九枚一、六四二枚三九一匁五分 
総計六、三六九枚二四〇枚六、二二四枚二三一枚一二、五九三枚(一四一) 
三貫一四五匁 
「天保八酉二月 札元紙控」(玉江文書88)

表17 天保九年飴屋札摺立一覧単位:枚
内訳五匁札一匁札
月日摺札悪札正味摺札摺札悪札正味摺札
一一月二〇日   二〇〇 二〇〇
二一    四〇〇三九三
二二 三〇〇一二二八八   
二三 四〇〇一二三八八   
二四 三〇〇一一二八九   
二五 三〇〇一三二八七   
二六 四〇〇三九三   
二七 三〇〇二二二七八   
二八 四〇〇一八三八二   
二九 五〇〇四九四   
一二月 朔日五〇〇一七四八三   
二 四〇〇三九五   
三 五〇〇一三四八七   
四 二〇〇一九八   
五 四〇〇三九八   
六 四〇〇一五三八五   
七 四〇〇三九四   
八 三〇〇一三二八七   
九 三〇〇二九一   
一〇 三〇〇二九八   
一一 三〇〇二九二   
一二 三〇〇二九七   
一三 三〇〇二九六   
一四 三〇〇一二二八八   
一五 三〇〇二九五   
一六 四〇〇三九七   
一七 四〇〇一六三八四   
一八 四〇〇三九五   
一九 四〇〇三九五   
二〇 三〇〇二九七   
二一 一五〇一四九   
二二    四五〇四四七
二三    五〇〇四九二
二四    三〇〇二九五
二五    二〇〇一九五
二六    八〇〇一七七八三
二七 一〇〇 一〇〇二〇〇一九五
合計一〇、二五〇二五〇一〇、〇〇〇三、〇五〇五〇三、〇〇〇
「札場一切控」(玉江文書85)

 柏屋と新屋については、両家共同で発行した札と柏屋単独で発行した札がある(口絵写真参照)。両札を比較すると、版木本体は同一のものを使用し、屋号部分のみ別刷りにしたもののようである。発行年は天保一四年(一八四三)一〇月「吉祥日」で、現在判明している札額面は銭三〇〇文・二〇〇文・三〇文の三種類である。