寺子屋

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 寺子屋では「読み書き、算盤」だけでなく、長幼の序、師弟の礼儀など厳格な「しつけ」教育がなされた。少人数だったこともあり、師弟関係は愛情にあふれたものであった。在籍期間は大体三~四年で、『実語教』、『童子教』などの教訓書、『庭訓往来』などの教科書を使っていた。
 近世後期になると、寺子屋が普及して文字教育が急速に盛んになり、文字文化が定着していった。外国の宣教師も驚くほどに日本人の識字率は高かった。享保七年(一七二二)、第八代将軍徳川吉宗は「六諭衍義大意(りくゆえんぎたいい)」をつくり、寺子屋教育を盛んにした。
 近世後半には、多くの地方では一村に一つぐらいの割合で寺子屋があったといわれ、この京都郡、仲津郡にも相当数あったと思われるが、資料が残っていないので正確な数はつかめない。
 資料に出てくるものとしては、天保一四年(一八四三)から慶応元年(一八六五)の間、仲津郡大橋村に井上清助の塾があったことがわかっている。