仏山は九歳の頃、近くの津積村の大島神社の神官・国学者であった定村直栄について学んでいる。この直栄は一〇二~一〇三歳の長寿を保った人で、養嗣子の直孝と共に名のある国学者であった。寺子屋を開いて近隣の子どもに読み書きを教えていたらしい。機知に富んでいるばかりでなく、なかなか教え方も上手だったようだ。
仏山はこの直栄に教えを受けてから学問に目覚めた。その後、田川郡香春の徳成寺の黄鶴という僧侶について学んだ。漢学の基礎的なものだったかも知れない。これは一年足らずであった。
文政七年(一八二四)、一五歳の時に筑前秋月城下の原古処の古処山堂に入門し、教えを受けた。この時の出会いが仏山を詩人、教育者として大きく開花させた。