塾生は最初、四書五経など代表的な漢籍の素読を受け、その後、経書の講義を受けると共に、自習によって、研究した事柄を輪番制で発表する会読、輪読も課せられる。やがては経書のほかに文章規範や古文真宝などの文集や歴史書が課せられ、それに詩文会に自作の詩文を発表して、批正(ひせい)を請うことも重要な課業の一つとなり、次第に自発的、創作的な学習を進めていくのである。
毎月末日には進級試験が行われていた。翌月朔日に昇級の発表があり、席序と等級が決められて、進級者によるお礼の酒宴がある。それに親孝行の仏山は母を招いた。これも自身の親孝行、忠孝心のためだけでなく、塾生への言行一致を示すものであった。このことからもわかるように、水哉園では進級よりも徳、行の実践を重んじた人間教育に重点をおいていた。
次の詩は天保七年、仏山が二七歳で、母のお民が六〇歳の時のものである。
母を奉ず
母を奉じ 花を訪ねて去かば
春山 恰も新晴なり
母持つ杖の三尺
児は携ふ 酒の一瓶
母が歩めば 児も亦歩む
母が停まれば 児も亦停まる
母は曰へり 彼に雲ありと
児は曰へり 是に花英あり
遙遙として花下に到れば
紅白 色を争ひ呈す
和風 時に一扇
艶雪 衣稜を迸る
小酌 艶雪を藉りる
慇懃にして酒〓を侑む
苟も其の歓心を得れば
何ぞ必ずしも君の羮を
忽に憶ふ父の在りし日を
勝遊 轎を並べて行く
児也 其の尾に陪う
花を看て日の傾くを忘れ
具慶 長く保ち難し
北〓愁雲 凝る
誰か知らん花を看る眼に
暗然として涕涙の生ずるを
却って怕る 母に認められんかと
強いて酔吟の声を作る
母を奉じ 花を訪ねて去かば
春山 恰も新晴なり
母持つ杖の三尺
児は携ふ 酒の一瓶
母が歩めば 児も亦歩む
母が停まれば 児も亦停まる
母は曰へり 彼に雲ありと
児は曰へり 是に花英あり
遙遙として花下に到れば
紅白 色を争ひ呈す
和風 時に一扇
艶雪 衣稜を迸る
小酌 艶雪を藉りる
慇懃にして酒〓を侑む
苟も其の歓心を得れば
何ぞ必ずしも君の羮を
忽に憶ふ父の在りし日を
勝遊 轎を並べて行く
児也 其の尾に陪う
花を看て日の傾くを忘れ
具慶 長く保ち難し
北〓愁雲 凝る
誰か知らん花を看る眼に
暗然として涕涙の生ずるを
却って怕る 母に認められんかと
強いて酔吟の声を作る
この詩ほど仏山の母親への孝心をよく表しているものはない。詩集の評者も次のようにいう。
「輿情が潘れる。人をして一読一泣せしむる詩だ」(梁川星巌)
「結びに最も孝恩が見られる」(後藤春草)