詩を教育の中心に

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 水哉園の特色の一つは、作文、作詩、会詩、吟行が多かったことであり、教育の目標の一つとして、漢詩を自在に詠み、その心情を大切にした。当時、全国的に私塾でうまくいった所は、やはり師匠が詩人として著名な人であった。菅茶山、広瀬淡窓・旭荘、亀井昭陽なども詩人として著名だが、私塾も隆盛であった。
 
  水哉園年間行事
   正月一七日新年開講会
     二三日原古処忌
   二月一九日等覚寺
     二九日求菩提山松会
   三月一二日宗門改め休日
     中旬久保村菩提寺観桜会
     三〇日餞春詩会
   四月初句観蛍会
   五月初旬早苗振り休日
   六月 五日原白圭忌
     一四日今井祇園休日
   七月 六日七夕祭星会
     一三~一五日盂蘭盆会休日
     一六日觀月会
     一九日稗田神幸祭休日
     二九日藤井秋皐忌
   八月一五日観月会
   九月 九日馬嶽登高会
     一五日観月会
   一〇月初句観菊会 或いは香春観楓会
     一五日東坡観月会
   一二月初句冬至詩会
     一三日男女暇取休日
     一五日年末大掃除休日
     二三日塾生帰省
     二七日餅搗き
    大晦日守歳(しゅさい)(除夜に眠らず徹夜すること)

 
 日田の咸宜園でも同様で、学力がある程度まで達すると詩作を多く採り入れ、詩を教育の中心とした。
 
 「詩ハ情ヨリ出ルモノナリ。詩ヲ好マサルハ、其天性ナキカ故ナリ」、「詩文ノ道。文ハ意ヲ述フルコトヲ主リ。詩ハ情ヲ述フルコトヲ主ル」、「当時ノ詩人。我門ヨリ盛ナルハナシ。宜園百家ノ如キ、世ノ伝誦スル所ナリ……門人ニ至テハ、皆力ヲ詩ニ専ラニス」(「夜雨寮筆記」)