子弟愛

525 ~ 526 / 898ページ
 仏山は子弟たちに対して慈愛をもって接し、一人一人の個性を尊重した。弟子たちとの別れ、再会の時などには詩を詠った。
 昔の門下生の死去したのを聞くと詩作して悼んだ。
 
  三年留塾、実に奇才
  豈料(あにはか)らんや、遽然夜台に遊ぶ
  初月半簾花影動き
  恍として疑ふ、微笑し書を捧げて来るかと

 
 仏山は弟子たちの学習する姿を見て至福の時と感じたようである。門人たちの読書する声を聞き、「枕上に門生の書を読むを聞く」と題して、「世間の清楽誰れかこれに如かん、臥して聴く琅々誦読の声」と詠っている。これこそ真に書生を愛し、育才を楽しむものであった。
 門生も師に仕えて誠を尽くした。仏山の歩行がままならなくなると、弟子たちが輿にのせて山に登ることもあった。仏山はこれに対して「門生に謝す」などと題して詩を賦している。尋常の子弟の間には聞くこと稀れな美談である。
 仏山は謙恭な人で、門生に対しても丁寧な言葉を使い、「貴君」と呼んだ。「この塾では何の長所もないが、ただ風儀のよいことだけは、自慢してよいだろう。だから塾の評判を落とさぬように、心懸けて貰いたい」と言っていたらしい。
 「水哉園詩、門生に示す」の前書きに「生徒余を助け園池を修む、既に成り此を賦す」とある。これは労作教育の一つではないだろうか。師のため、園のために皆で自主的に庭の池を造る。出来栄えは問題ではなく、皆で力を合わせて造り上げるところに意義があった。