小倉藩学の成立

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 初代小倉藩主である小笠原忠真は、短歌や連歌を好む好学の藩主であった。忠真が小倉城に入城したのは寛永九年(一六三二)であるが、それ以前の明石において「事を見る制」を建て、学事の大切さを示していた。次の二代藩主小笠原忠雄も、歌道に優れた好学の藩主(『諸大名の学術と文芸の研究』)であった。忠雄は儒学者として、また儒医として名高い土屋昌英(まさひで)を小倉藩に招き、世子忠基(ただもと)の訓育に当たらせた。