思永館の聖堂は前室と孔子像を安置する奥殿の二室によって構成されていた。奥殿には初代藩主が納めた孔子の画像が飾られ、周りの壁には孔子十哲と称される孔子の弟子一〇人の画像が掲げられた。さらに東西南北および上下の抛梁(ほうりょう)には、布施晦息の撰文により六枚の書が掲げられていた。
弘化二年(一八四五)、孔子の画像は青銅の孔子像に代えられた。その像は昌平黌と全く同一の聖像(漢、李敬明の鋳像)で、向井某が長崎で入手し献上したと伝えられている。
東京国立博物館には、将軍綱吉が自ら釈奠を行ったおりの釈奠器が伝えられ、『湯島聖堂伝来釈奠器目録』(東京国立博物館・一九九一)が発行されている。そのなかに小笠原忠総が献上したものが三点含まれている。忠総自身が孔子を崇拝し釈奠の重要さを認識していた証左であろう。