育徳館の開業

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 育徳館の開業は明治二年正月一四日である。その翌年の明治三年二月、明治政府は学校制度を調査研究する取調委員を任命、大学規則を定め、その大学と結び合わせて中学・小学規則を制定した。それによると、「小学校を開設し、時代の変化に応じた民衆教育に着手する」とあり、各藩に所謂義務的な小学教育を命じたのである。この点育徳館の開業は、明治政府の民衆教育に僅かでも前取りしており、豊津藩の革新的な教育施策によるものである。なお、育徳館においては武士に限らず、身分とは無関係に一般庶民に入学を許した。この点でも、当時としては開明的なことで、農民・町人階層からの入学によって、学力を競う好ましい環境を醸成したと考えられる。