私立育徳校

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 廃藩置県によって、藩立育徳館は変則中学校として、育徳校(『豊津中学校沿革』)となり、私立育徳校として存続を図った。その後、明治七年に至り、第三十五番中学校として、豊前六郡の郡民に拠出金を求め、その拠出金三〇〇〇円で維持されることになった。
 育徳校を変則中学校としたのは、当時の開化教育では、教科を英語主体で授業する中学を正則中学校とし、翻訳本で授業する中学を変則中学校としたからである。