明治八年三月、第三十五番中学校育徳校に小学校教員を養成する小学校授業法伝習所(『豊津中学校沿革』)が設置された。既に仮免許などで教師になっている者に対し、東京師範学校を卒業した講師を招き授業法などを講習したり、中学卒業程度の学力のある者を選抜し短期講習で教員不足を補おうとしたのである。その経費一〇〇〇円は旧藩主小笠原忠忱の寄付が充てられた。当時、調査に派遣された督学の報告では、豊津では志願生五〇名を募り、当初は四カ月、のちに一カ年を学期として教員を養成している。中学校の維持さえ困難であった育徳校として、豊前六郡の小学教育に資する大いなる義挙であった。