在校した生徒

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 洋学校には、五〇名前後の生徒が学んだと伝えられている。記録に残る生徒は、
 
田見太郎、吉田齡吉、北野藤三郎、青木専太、山路閑蔵、二木(ふたつき)猛雄、河野於兎彦(おとひこ)、浜口与市、野沢勝太郎、二木政祐、山上松渓、依田精一、下村加賀三、大島貫一、広瀬魁一、上田平蔵、進準太、藤田弘策、板生重蔵、井上貞吉、恩田栄太郎、香坂力、飯森辰次郎、黒瀬泰蔵

 
以上の二四人である。しかし、小笠原文庫所蔵の職員履歴書によると、例えば花見飛鳥三の履歴書に、
 
、大橋洋学校に於て和蘭人「フハン・カステール」に就き明治四年十月より同六年八月迄英学研窮。同六年九月より同八年九月迄教師「フハン・カステール」解雇の後、林純太郎に就き英学変則研窮。

 
とある。さらに栗屋貫一(大島貫一と同一人物と思われる)の履歴書にも大橋洋学校で英語を学んだことが記されている。のちにやや詳しくふれるが、数学教師の筧昇三もカステールに英語を学んでいる。
 明治三年一〇月に洋学校に入学した伊藤景直は、英語を学んだ学友として次の者をあげている。
 
喜田村寛治、岩垂邦彦、大前退蔵、島田省一、長島長平、野口文治、佐野文之助、高橋種之丞、小口久五郎、白根孫七郎、竹林熊次郎、大貫敬司、喜久田虎次郎、時枝満槌、谷頭熊次郎、浜島彦太郎、金子鹿太郎、宮城勇、福原多門、草野新吉、宮下清太郎、森友彦六、三村断二、栗屋貫一

 
 ところが、小笠原文庫に保存されている喜田村寛治の履歴書を見ると、英語は望月誠と沢井熊次郎に学んだことを記し、カステールからは学んでいない。
 喜田村寛治の弟岩垂邦彦の伝記では、岩垂はカステールに英語を学んだとあるが、伊藤景直が名をあげた学友の全てがカステールに学んだとは限らないのである。