医書の貸与

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 『平左衛門日記』には、たびたび開かれた医師会合と官医による講釈(医療講習)の実施が記述されており、これらは京都・仲津郡においても同じように実施されたものと考える。また医書について、嘉永五年(一八五二)八月二五日の日記に、
 
一、医書左の通り御郡辻より御求め郡医中に下し被り候、此旨御達これ有り候
傷寒論弁正  傷寒論精義  傷寒論集成類経
金匱玉函要略集義(きんきぎょくかんようりゃくしょうぎ)

 
とあり、貸与を望む人は手形を入れ借用できると記している。この時代の医師が疫病の治療方法など必要とした知識を、藩が貸与した医書によって得たことを示している。医書のうち目立つ『傷寒論』は、中国後漢の張仲景が著したものである。漢方の基本的な考え方である陰陽の概念をふみ、「疫病は絶えず変化するのでそれに応じて治療しなければならない」と述べている。
 藩の貸与した医書は、時の医書として名だたる医師の著述である。『傷寒論弁正』は中西深斎、『傷寒論集成』は山田図南、『傷寒論精義』は吉益南涯の著述である。これらの医書は、京都・仲津両郡においても郡医に貸与されたと見て差し支えあるまい。
 以上、述べてきたことは、小倉藩における官医、郡医による医療、施薬、医書の貸与など、幕末における医療行政の一班である。