一、 | 医書左の通り御郡辻より御求め郡医中に下し被り候、此旨御達これ有り候 |
傷寒論弁正 傷寒論精義 傷寒論集成類経 | |
金匱玉函要略集義(きんきぎょくかんようりゃくしょうぎ) |
とあり、貸与を望む人は手形を入れ借用できると記している。この時代の医師が疫病の治療方法など必要とした知識を、藩が貸与した医書によって得たことを示している。医書のうち目立つ『傷寒論』は、中国後漢の張仲景が著したものである。漢方の基本的な考え方である陰陽の概念をふみ、「疫病は絶えず変化するのでそれに応じて治療しなければならない」と述べている。
藩の貸与した医書は、時の医書として名だたる医師の著述である。『傷寒論弁正』は中西深斎、『傷寒論集成』は山田図南、『傷寒論精義』は吉益南涯の著述である。これらの医書は、京都・仲津両郡においても郡医に貸与されたと見て差し支えあるまい。
以上、述べてきたことは、小倉藩における官医、郡医による医療、施薬、医書の貸与など、幕末における医療行政の一班である。