目次
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第四編 近世
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第六章 藩政後期と明治維新
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第一節 幕藩体制の危機と小倉藩
五 尊皇攘夷と小倉藩
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寛永九年(一六三二)、明石から小倉城へ入城した小笠原忠真は、将軍家光から「小倉は西海道の咽喉なり、因て九州鎮護の為め卿をして之を扼(おさえ)せしむ、今後異常の事あらば細大を問はず速に警報すべし」と命じられていた。すなわち忠真は、実質的に九州探題職としての任務を与えられ、九州へ遣わされたのである。その結果、歴代藩主の職責は、第一に九州諸藩および近隣諸藩の監視、第二は唐船打払いにみられるような海洋監視で、幕府から達せられた鎖国令を厳守することに重点がおかれた。