六月一日、アメリカ軍艦ワイオミング号が馬関の台場を砲撃した。ペムブローク号を砲撃したことに対する報復である。ワイオミング号はさらに、長州藩の軍艦壬戌丸・庚申丸を攻撃、約一時間の砲撃で両艦を撃沈した。
小倉藩の『攘夷記』は、この日の戦闘をつぶさに記録したあと、「異国汽船は数多く弾丸を被むれども大なる毀損なく、長州汽船庚申丸は次第に沈没するを見る」と記している。長州藩は攘夷実行を声高に叫んでも、火砲一つとっても旧式で威力で劣り敗戦は必定であった。
長州藩はこの現実を知らずして、一方的に攘夷実行に同調しない小倉藩を非難した。たとえ小倉藩が長州に協調し海峡を航行する外国船を挟撃しても、両藩の火砲では異国船を撃沈することは困難であった。当時、小倉および長州ともに大砲は青銅製で、弾丸も丸玉と呼ばれる球形で、命中したとしても窪みを残すだけであった。これに対し、四カ国艦隊の砲弾は円錐形で、弾頭に爆薬を充填しており、着弾と同時に炸裂、その破壊力は想像を絶した。