大橋村伝兵衛受難

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 以上のように、幕末期の小倉藩においては厳重な旅人取締りが行われるが、文久三年(一八六三)からは特に長州藩を意識した取締りが実施されるようになる。五月の攘夷決行(関門海峡通航の外国船砲撃)、小倉藩領田野浦の占拠(六月)、朝陽丸事件(七月)、英彦山「義挙」(一一月)と長州藩の行動に振り回され、苦悩した小倉藩が、彼らに対する警戒を強めたのは当然であろう。八月一八日の政変による失地を回復しようとする動きが活発になれば尚更である。
 小倉藩がいかに長州からの入国者を警戒していたか、そのことを物語る事件が、元治元年(一八六四)に起きている。幕末期、小倉藩領内には各所に旅人改所が設けられるが、次の史料は元治元年四月二一日に、小倉城下大門の旅人改所から報告のあった不審者捕縛の顛末である。
 
仲津郡大橋村中町
吉松屋権六倅 伝兵衛
右は下ノ関新地産物改所へ六ケ年跡より奉公に参り候て、当時同所へ住居致し、吉松屋伝兵衛と申し罷り居り候処、鋳物師町遊仙屋健治娘、下ノ関新地へ縁付き居り候に付き、右健治妻罷り越し候節伝兵衛と出合い、小倉帯仕入れ等致し候はば世話いたし遣わし申すべくに付き、罷り越し候様相咄し候所、今日同所伊崎卯三郎と申す者荷持ちに召し連れ、大里渡海にて同所へは大橋村の者と申し偽り、当所改所には下関の者と申し出候、此段申し上げ候、以上
 四月廿一日旅人改所
 下ノ関伊崎卯三郎共両人欠け留めこれ有り候事
(国作手永大庄屋元治元年日記四月二八日条)

 
 これだけでは分かりづらいので、伝兵衛本人の口上書などから補足・整理すると、事件の顛末はこうであった。仲津郡大橋村中町にある吉松屋権六の倅・伝兵衛は、安政六年(一八五九)八月に下関へ渡り、同所の村屋徳右衛門方や大田屋辰右衛門方において奉公をしていた。その後、下関の産物会所において「煙草撰方」をしていたが、少々の貯えができたため店を構え、文久三年(一八六三)八月から女房とともに下関で商売を始めた。そのような折、伝兵衛は小倉織の帯を商えば利益になると考え、伊崎宇三郎という人物と共に小倉へ向かった。大里に上陸した伝兵衛は、旅人改所において小倉藩の役人から出身地などを尋ねられたので、「大橋村出身の者であるが現在は下関に住んでいる」と答え、無事小倉領へ入ったのである。それから、小倉鋳物師町の遊仙屋健次方(健治の娘が下関に嫁いでいる。健治女房が下関に来た時伝兵衛と知り合う)で小倉織の帯一〇筋を買い求め帰途に着いたが、途中、大門の旅人改所において出身地などを尋ねられたので、「下関の者である」と答えたところ、小倉に住んでいる知人でそのことを証明できる者はいないかと尋ねられたので、肥後屋才兵衛という知人に来てもらった。肥後屋才兵衛は小倉藩の役人に、「(伝兵衛は)大橋村出身で現在下関に住んでいる」と答えたのであるが、それが伝兵衛の「下関の者である」との答えと相違していたため、大門旅人改所の役人は伝兵衛の身柄を拘束したのであった(同前史料)。
 牢屋に入れられた伝兵衛について、父親の権六や親類・五人組、および大橋村の有力商人柏木勘八郎は寛宥願いを提出したが(同前史料)、「伝兵衛義頻に下関に帰りたき様子」が見受けられるので、許されなかった(同前五月一日条)。そこで伝兵衛は、彼が下関滞在中に見聞きした長州藩内の情報を上申書として提出した(内容は、八月一八日の政変で都落ちした公家衆の様子、英彦山の山伏が長州の部隊に入っているらしいとの噂、高杉晋作の動き、など多岐にわたっている。同前五月三日条)。この上申書を提出することで、自身が長州藩とは関係のない人間であることを証明しようとしたのであろう。また、下関にいた伝兵衛女房も五月四日に大橋村へ移り住み(下関に帰る必要がないことを示すためだろう)、夫の釈放を待った(同前五月七日条)。そこまでしてやっと、五月一二日に牢屋を出され、親類・五人組預かりとなったのである(同前五月一三日条)。
 ちょっとした言葉尻を捉えられて、ここまで犯罪人並みの扱いを受けるとは滑稽ですらあるが、当時はそれほどまで長州に対する警戒感が強かったということであろう。この「大橋村伝兵衛捕縛一件」に似たようなことは他にも起きている(『北九州市史』近世編、八七二頁参照)。
 なお、慶応四年(一八六八)三月作成の「大橋村 行事村 宮市村見取図」(行橋市歴史資料館所蔵)を見ると、中町に「権六」の名前があり、隣接した家に「伝兵衛捕縛一件」のあった元治元年(大絵図作成の四年前)当時の五人組と同じ名前が見られることから、確かにこれが伝兵衛父・吉松屋権六であることが分かる。ただ、同絵図には伝兵衛本人の名前は見当たらない。
 
写真5 伝兵衛父・権六の家
写真5 伝兵衛父・権六の家
大橋村川越の金比羅社前にあった。現行橋市大橋3丁目1番地34号付近。
(慶応4年「大橋村 行事村 宮市村見取図」行橋市歴史資料館所蔵)