豊津藩の禄制改革

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 豊津藩では、先に戦後の財政危機を乗り切るべく面扶持の措置や、明治二年七月布告の「職員令」で、藩士の家禄を適宜削減してきたが、ここに至って再度の減額を余儀なくされた。
 明治四年三月末の小笠原藩士「士族禄高御用帳」によれば、一〇〇〇石以上の上士の改正現米支給額は一律七一石九斗、二五〇石から一〇〇〇石までは二八石七斗六升となっており、二〇石以下の下士に至っては元高よりもわずかな減となっている。例えば、元家老であり藩の重臣でもあった島村志津摩は、元高一二〇〇石であったが、その後三三〇石となり、さらに今回の削減で七一石九斗となった。元高二五〇石の上士、岡出衛(いずえ)の自伝的記録には、この削減について次のように記してある。
 
明治四年辛未十一月二日、当年ヨリ是迄代々くだしおかれ候知行通相止ミ、御差紙ニ相なり、昨冬御達の通元米廿三石下され候由
(「出衛存命中之事条荒増(あらまし)控置者也」豊津町歴史民俗資料館所蔵)

 
 このように、「藩制」の布達による豊津藩の禄制改革は、上士にとって極めて厳しい内容となった。