廃藩へのみち

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 新政府による「藩治職制」以来、相次ぐ藩政改革は、明治三年九月一〇日公布の「藩制」をもってその頂点に達した。藩士の大幅な禄制改革に続いて、藩札発行の禁止、藩債の償却まで厳命されては、もはや自力での藩体制維持は不可能だった。各藩の中には財政破綻で自主的に廃藩を申し出る藩もあった。
 明治四年七月の廃藩置県に先んじて廃藩したのは次の一四藩だが、他藩の内情もほぼ大同小異だった。
 表8から分かるように、廃藩への客観的状況は漸次固まりつつあった。しかし藩の「実力」をすべて取り上げ、全国の統一・集権化を目指す廃藩の断行となると、そう簡単にはいかなかった。中でも、鹿児島・山口・高知といった、いわゆる維新の原動力となった雄藩の中には、それぞれ改革に対する構想や思惑もあって、「郡県制」への統一実現は難行した。その最大の障害は、これら有力藩が、維新の功績を盾にして、急激な集権化政策に批判的な姿勢を取り続けたからであった。
 
表8 明治4年7月以前の廃藩一覧
領国藩名草高(石)廃藩年月日合併藩県
下野喜連川(きつれがわ)藩5,000明3.7.17日光県
上野吉井藩10,000明2.12.26岩鼻県
信濃竜岡藩16,000明4.6.2中野県
美濃高須藩30,000明3.12.23名古屋藩
若狭鞠山藩10,000明3.9.17小浜藩
近江大溝藩20,000明4.6.23大津県
播磨福本藩10,573明3.11.23鳥取県
河内狭山藩10,000明2.12.26堺県
石見津和野藩43,000明4.6.25浜田県
周防徳山藩40,010明4.6.19山口藩
讃岐多度津藩10,000明4.2.5倉敷県
陸中盛岡藩130,000明3.7.10盛岡県
越後長岡藩24,000明3.10.22柏崎県
讃岐丸亀藩51,512明4.4.10丸亀県
出典:『地方沿革略譜』(内務省図書局刊1882)

 「藩制」を布告した後の、明治三年後半から四年にかけて、岩倉、大久保、木戸といった維新政府の首脳たちは、対立・競合する前記三藩の協力体制をどう具体化していくかについて奔走した。その結果、鹿児島・山口・高知の三藩からそれぞれ親兵を取りたて、天皇直属の軍隊を組織し、その上で政府改革に参画するということで同意を得た。
 親兵設置は、明治四年二月一〇日の右大臣・大納言・参議出席の三職会議で正式に決まり、一三日には、鹿児島・山口・高知三藩に対し、兵を徴して親兵として兵部省に属することが命じられた。
 かくて、兵力を背景とした「郡県制」の即時断行論が浮上し、廃藩の断行に際しては背水の陣で臨むことが決定した。