明治四年七月の廃藩置県に先んじて廃藩したのは次の一四藩だが、他藩の内情もほぼ大同小異だった。
表8から分かるように、廃藩への客観的状況は漸次固まりつつあった。しかし藩の「実力」をすべて取り上げ、全国の統一・集権化を目指す廃藩の断行となると、そう簡単にはいかなかった。中でも、鹿児島・山口・高知といった、いわゆる維新の原動力となった雄藩の中には、それぞれ改革に対する構想や思惑もあって、「郡県制」への統一実現は難行した。その最大の障害は、これら有力藩が、維新の功績を盾にして、急激な集権化政策に批判的な姿勢を取り続けたからであった。
表8 明治4年7月以前の廃藩一覧 | ||||
領国 | 藩名 | 草高(石) | 廃藩年月日 | 合併藩県 |
下野 | 喜連川(きつれがわ)藩 | 5,000 | 明3.7.17 | 日光県 |
上野 | 吉井藩 | 10,000 | 明2.12.26 | 岩鼻県 |
信濃 | 竜岡藩 | 16,000 | 明4.6.2 | 中野県 |
美濃 | 高須藩 | 30,000 | 明3.12.23 | 名古屋藩 |
若狭 | 鞠山藩 | 10,000 | 明3.9.17 | 小浜藩 |
近江 | 大溝藩 | 20,000 | 明4.6.23 | 大津県 |
播磨 | 福本藩 | 10,573 | 明3.11.23 | 鳥取県 |
河内 | 狭山藩 | 10,000 | 明2.12.26 | 堺県 |
石見 | 津和野藩 | 43,000 | 明4.6.25 | 浜田県 |
周防 | 徳山藩 | 40,010 | 明4.6.19 | 山口藩 |
讃岐 | 多度津藩 | 10,000 | 明4.2.5 | 倉敷県 |
陸中 | 盛岡藩 | 130,000 | 明3.7.10 | 盛岡県 |
越後 | 長岡藩 | 24,000 | 明3.10.22 | 柏崎県 |
讃岐 | 丸亀藩 | 51,512 | 明4.4.10 | 丸亀県 |
出典:『地方沿革略譜』(内務省図書局刊1882) |
「藩制」を布告した後の、明治三年後半から四年にかけて、岩倉、大久保、木戸といった維新政府の首脳たちは、対立・競合する前記三藩の協力体制をどう具体化していくかについて奔走した。その結果、鹿児島・山口・高知の三藩からそれぞれ親兵を取りたて、天皇直属の軍隊を組織し、その上で政府改革に参画するということで同意を得た。
親兵設置は、明治四年二月一〇日の右大臣・大納言・参議出席の三職会議で正式に決まり、一三日には、鹿児島・山口・高知三藩に対し、兵を徴して親兵として兵部省に属することが命じられた。
かくて、兵力を背景とした「郡県制」の即時断行論が浮上し、廃藩の断行に際しては背水の陣で臨むことが決定した。