蓑島字村中に鎮座し、山を背面に控え、集落を正面に望む地に東面して境内を構えるが、かつては正面の集落越しに海が広がっていた。玉垣で囲われた中に拝殿を建て、その背面、石段を登った高台上に神殿が建つ。天武天皇八年(六七九)の創立と伝わり、現在の社殿は明和五年(一七六八)の再建になるものと言う。
神殿は三間社流造銅板葺、正面三間、側面二間、向拝三間、さらに正面に向唐破風の銅板葺向拝一間を付し、軒は二軒、繁垂木を配る。軸部は素木の欅材を用いる。
雨葛に布石一段を巡らし、正面に石階一級を設け、切石礎石上に円柱を建て、地長押・切目長押・内法長押で固め、頭貫を通して繰型木鼻を付す。組物は二手先拳鼻付、雲を象った軒支輪を設け、中備に彫刻を載せる。妻飾は彩色を施し、二重虹梁大瓶束、鬼面結綿を付し、下段中備に大蟇股を載せ、拝懸魚に鰭付の梅鉢懸魚、降懸魚に猪目懸魚を吊り、華やかである。
正面に浜縁と木階三級を設け、三方に切目縁を巡らし、脇障子を建て、擬宝珠高欄を巡らす。柱間は正面に両開き板唐戸を建て、側面と背面は横板を嵌める。内部は畳敷、竿縁天井を張り、内陣に宮殿二基を収める。
向拝は切面取の方柱を建て、水引虹梁を通し、身舎とは海老虹梁で繋ぎ、象と獅子を象った木鼻を付す。組物は出三斗、中備は龍の彫刻、軒は二軒、繁垂木を配り、菊の手挟を設ける。
向唐破風の向拝は切石礎石上に几帳面取の方柱を建て、水引虹梁と繋虹梁を通し、象を象った木鼻を付す。組物は出三斗、中備は彩色の彫刻、絵入格天井を張り、唐破風幕板に天女の彫刻を飾り、軒には繁垂木を配り、華やかである。
妻飾の大蟇股は立ちが高く、木鼻も彫りが浅く、彫り幅も狭く、虹梁絵様には木瓜(ぼけ)渦があり、向拝柱の面取りも大きく、一七世紀後期の特色を備えている。一七世紀後期の彩色社殿の一部を残しながら、明和五年に改築されたものと見られる。
拝殿は正面三間、側面二間、向拝一間を付し、屋根は平入り入母屋造桟瓦葺、正面に軒唐破風を突出させる。軒は二軒、繁垂木を配り、妻飾は木連格子とする。軸部は身舎が杉材、向拝が欅材を用いる。
コンクリートの雨葛・階段を設け、切石礎石を据え、切面取り方柱を建て、内法貫・頭貫を通し、繰型木鼻を付し、台輪で繋ぐ。組物は二手先拳鼻付、蛇腹支輪は内側のみ設けるが、内外ともに華やかな軒廻りを造る。正面に木階三級を設け、四方に切目縁を巡らし、擬宝珠高欄を設ける。柱間は吹き放ち、床は拭板敷、天井は格天井を張る。
向拝は切石礎石上に石製の礎盤を据え、几帳面取の方柱を建て、水引虹梁を通し、海老虹梁で身舎と繋ぎ、獅子の彫刻木鼻を付す。組物は出三斗、中備も出三斗と彫刻、雲を象った手挟を設ける。
虹梁絵様は彫りが深く、彫り幅も広く、若葉も力強いので、建築年代は一九世紀前期に遡ると見られる。背面に片入母屋造桟瓦葺、軒を二軒、扇垂木を配り、柱間を建具と竪板で閉ざした幣殿が取り付くが、拝殿より建築年代は降ると見られる。
神殿は三間社流造に向唐破風の向拝を付した特異な形式を呈し、建築年代も一八世紀中期に遡り、一七世紀に遡る部材も一部残し、拝殿も建築年代は一九世紀前期ながら、開放性と装飾性を両立させた良質の建築である。ともに建築年代を確定する史料に欠けるものの、行橋市を代表する社殿として重要である。