周防灘に向かって開けた京都(みやこ)平野を主たる市域とし、古来陸海の交通の要衝であった行橋の地には、重要な遺跡が少なからず存在している。ここで取り扱う飛鳥時代以降について見たときにも、七世紀の築造とされる国指定史跡の御所ヶ谷神籠石や、七世紀末から八世紀初頭の創建と見られる、行橋市指定史跡の椿市廃寺をはじめとして、市域には多くの遺跡が確認されており、そしてこれらの遺跡は、発掘調査を主とした調査の進展によって、次第にその姿を明らかにしてきている。その一方で従来、地上に伝世してきた造形遺品について言及される機会は、一部のものについてを除き、決して多いとは言えなかった。これはしかし、語るに足るものが存在しないからではなく、存在が知られていなかったからに過ぎない。福岡県では何処においても一般に、地上に伝世した造形遺品の調査は、開発とも絡んで日々進められている埋蔵文化財の調査とは異なって、十分に進んでいるとは言えないのが実状である。そしてそのような状況が当地にも当てはまるわけなのであるが、行橋の地理的、歴史的環境を考えたとき、組織的に調査を始めてみれば、当地の寺社や旧家には、文化財として重要な意義をもつ遺品が、存在を知られないままに護り伝えられている場面に出会うことは、決して少なくはないと推測される。これらの確認と顕彰が進めば、主に発掘調査の成果や文献資料に基づいて描き出されている行橋の古(いにしえ)の姿は、より豊かな彩りと厚みをもって語られることになるだろう。
この度、行橋に伝世する造形遺品に光をあてるため、その第一歩としての調査をしばし続けてきたわけであるが、その対象については、主として仏像や神像、仏画、仏具等々、信仰の中から生み出された造形遺品に絞っている。本来ならば、書画や工芸品を含め、今一般に古美術の範疇に含めて語られることの多い文物全般について、広く紹介していくはずのところを、このように絞り込むことにしたのは、多岐にわたる十分な調査を行うことは困難だったので、まずは根幹となるものを押さえておこうと考えてのことであった。太古の昔より、具体的な使用目的をもって作られた道具類の他にも、さまざまな造形が世に生み出されてきたが、それらの多くは何らかの信仰活動に関わって生み出されたものであった。信仰に関わる造形は、造形活動の根元的な存在であると言え、そして、やがて鑑賞を主目的とした書画や工芸品が隆盛を始めても、近世に至るまではなお造形活動の主役であった。このように見ると、仏像や神像、仏画、仏具等々についての調査とその顕彰は、造形活動に関する行橋の地の在り方の、幹を示すことになると考えられる。書画や工芸品の調査は、それに美しい枝葉を茂らせることになるだろうが、それは今後の課題としておきたい。今回ここでは、調査することの叶った、延べ五〇カ所を超える寺社の造形遺品の中から、信仰の対象としてのみならず、文化財としても重要だと考えられる、仏像や神像について紹介することを主眼とし、加えて、こちらも行橋の大きな見どころだと考える、中世に活躍した今井鋳物師とその作品、そして浄喜寺を筆頭にとくに江戸時代以降繁栄を見せる、浄土真宗の仏画について言及することにする。これらの紹介を通して、まずはこの地における造形遺品の在り方の、輪郭を浮かび上がらせることができればと思う。