四 行橋に所在する親鸞聖人絵伝

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 ここまでは、行橋に所在する親鸞聖人絵伝の原点だと言える、浄喜寺の絵伝を紹介し、この作品を通して、親鸞聖人絵伝の内容について解説を加えてきた。ただこの度は、浄喜寺のみではなく、行橋にある浄土真宗寺院二九ヵ寺のうち、江戸時代に制作が遡る絵伝を所蔵している寺院を中心に、浄土真宗本願寺派四ヵ寺、真宗大谷派六ヵ寺の、計一〇ヵ寺を訪れて調査をさせていただいている。残念ながらやはり調査した作品全てについては、紙幅の都合があるので、ここで紹介していくことはできないのであるが、せめてその中で、この度の調査の主目的である親鸞聖人絵伝については、今後の顕彰の糸口とするべく、基礎的な情報を制作年代順に表(表1)にまとめて、提供しておくことにしたい。なお、表の中で寺院名の下に、(西)(東)とあるのは、(西)は浄土真宗本願寺派、(東)は真宗大谷派の寺院であることをあらわすものである。これはそれぞれが、西本願寺、東本願寺を本山とすることによっている。

   

表1 行橋に所在する親鸞聖人絵伝


 
 ちなみにここに挙げたような、浄土真宗本願寺派と真宗大谷派の四幅対絵伝については、既に吉原忠雄氏が、大阪府堺市の浄土真宗寺院に所蔵される親鸞聖人絵伝の悉皆的な調査をもとに著した、「堺の親鸞聖人絵伝-調査報告と江戸時代本願寺系統本の図様について-」(『堺市博物館館報Ⅶ』・一九八八年三月)において、多くの興味深い指摘をされているので、ここでその要旨を紹介しておきたい。吉原氏は、描かれる場面を共有し、一見同一のように見える東西本願寺の絵伝の図様には、実はさまざまな相違があり、それが江戸時代のある時期以降、東西両派とも厳格に守られてきたということを指摘する。それぞれの大きな特色としては三点、真宗大谷派の作例の画面は、絵画的効果を高めるための新たな工夫を随所に採り入れているのに対し、浄土真宗本願寺派の作例の画面は、より伝統的な大和絵的絵画構成をもっていること、真宗大谷派の画面は景物や人物を多くして空間を埋める傾向があるのに対し、浄土真宗本願寺派の画面は空間の広がりをもっているということ、真宗大谷派の画面は浄土真宗本願寺派のものに対して、装飾性が強く、画中に屏風絵や襖絵を多く描き、建物に装飾を加え、樹木や草花の種類やその量を多くして、華やかさを増しているということを述べている。
 なお吉原氏は、このような見解を導き出すため、その前段階として、各場面について両者を細かく比較して、一つ一つ相違点を指摘しているのであるが、詳細を究め多岐にわたるため、ここでは触れ得ない。一つだけ、親鸞を荼毘(だび)にふする炎が、真宗大谷派では向かって右に、浄土真宗本願寺派では向かって左になびくと指摘されているのは、著名でしかも分かりやすい違いなので挙げておこう。そして氏によると、浄土真宗本願寺派の図様は、天正一六年(一五八八)には成立していたのに対し、真宗大谷派の図様は、寛永二一年(一六四四)頃には、人物を大幅に増加して細密な描写として、その根幹が成立し、天和(てんな)二年(一六八二)から貞享(じょうきょう)三年(一六八六)の間に定型化が完成したという。これを承けると寛永一七年(一六四〇)に制作された浄喜寺本は、ちょうど東本願寺において真宗大谷派の図様の根幹が成立する頃の作で、そして寛文一二年(一六七二)に制作された善徳寺本(写真76)は、図様の定型化が完成する頃の作例だということになる。その後にも、宝暦一一年(一七六一)の歴応寺本(写真77)、文化二年(一八〇五)の真念寺本(写真78)などが続き、今回調査した中で、江戸時代の真宗大谷派の絵伝の基準となる作例は、一応一通りととのっていると言うことができる。一方の浄土真宗本願寺派の作例についても、一七世紀以前に遡る作例こそ遺されていないとはいえ、安永四年(一七七五)に制作された浄蓮寺本(写真79)をはじめ、文化一一年(一八一四)の光明寺本(写真80)、明治一七年(一八八四)の伝因寺本(写真81)などの基準的な作例が存在している。そして、これらは全てが本山にて制作されて下されたものであるため、各々を相互に比較することによって、京都の東西本願寺における絵伝制作の在り方やその相違について、行橋にありながら考えていくことが可能である。ここにも、絵伝をはじめとした浄土真宗の絵画の、文化財としての魅力がある。

   

写真76 善徳寺 親鸞聖人絵伝(第四幅)


 

写真77 歴応寺 親鸞聖人絵伝(第四幅)


 

写真78 真念寺 親鸞聖人絵伝(第四幅)


 

写真79 浄蓮寺 親鸞聖人絵伝(第四幅)


 

写真80 光明寺 親鸞聖人絵伝(第四幅)


 

写真81 伝因寺 親鸞聖人絵伝(第四幅)


 
 最後に、この度行橋で調査を進めていく中で、その他に気になった若干のことを付け加えて述べて、結びに向かうことにしたい。浄土真宗本願寺派と真宗大谷派の画面の、一見して分かりやすい違いということでいえば、前者の霞は暗い紺色で、白線で縁取ることが多いのに対し、後者の霞は青の強い紺色で、截金や金泥など金色で縁取ることが多いということもあげられる。これは画趣に大きな影響を与える違いだといえ、落ち着いた浄土真宗本願寺派の絵伝と、華やかな真宗大谷派の絵伝の気分を醸成する、大きな要素となっている。また、図様を継承しつつ刻々とうつり変わる画風の他に、何か時代による変化がないかと一〇作例を見比べてみると、一七世紀に制作された二例のみが、画中に場面を説明する銘札をもっており、これが古例の一つの特色である可能性があること、また裏書きは、一七世紀のものは二例とも全てが墨書で、一八世紀以降は墨刷りを交えるものが出てくることなどが見てとれる。対価等制作条件に違いがあることも考えられるし、あくまで一〇作例という中での知見に過ぎないが、注意される傾向ではある。今はまだ知見も少ないので、ここでは基礎的な情報の提供から踏み出すことができないものの、これからも作品調査と裏書きの集積を進めて、浄土真宗をめぐる絵画制作と受容の実態に近づいていこうとすることは、江戸時代の信仰文化を考える上で、軽視すべからざる作業であろうと考えている。