この度行橋で調査をした浄土真宗寺院は、全体の三分の一に過ぎないのであるが、そのような中で、親鸞聖人絵伝については、浄喜寺の絵伝をはじめとして、興味深い作例をいくつも確認することができた。そして実はこの度の調査においては、親鸞聖人絵伝にとどまらず、今回は触れることができなかったものの、他にも、文化財としての意義をもった、多くの絵画作品に巡り会うことができたのであった。堂内に掛けられている、聖徳太子像や七高僧像については、室町時代の最末期、慶長四年(一五九九)に制作された浄喜寺本を筆頭に、寛永一七年(一六四〇)の善徳寺本、正保(しょうほう)四年(一六四七)の浄蓮寺本、延宝二年(一六七四)の歴応寺本、寛文九年(一六六九)の真念寺本など、古い作例を多く見出すことができたし、その他の作例からも、各時代の寺院の在り方を偲ばせ、ここにのみ生きた証を遺すような一般の門徒の名を見せる、大切な裏書きを確認することができた。肖像画にも見るべきものは多く、浄喜寺の、顕如と良慶の名を見せる裏書きをもった、元亀三年(一五七二)の親鸞聖人像や、浄蓮寺で調査することのできた、歴代門主の肖像画のまとまりなどは、とくに目を引く存在であった。このようにしてみると行橋の浄土真宗寺院は、確かに室町時代以前に遡るような文化財は、あまり多く所蔵していないかもしれないが、とくに江戸時代の京都で連綿と制作されていた仏画と肖像画の、宝庫だと言っても過言ではないだろう。浄土真宗寺院の堂内は、都にのぼることの困難な一般の人々にとって、法悦(ほうえつ)の中で都の洗練された造形に浸ることのできる、特別な趣をもった場だったに違いない。ここは、時空を超えて阿弥陀如来や親鸞聖人と向き合うことができる場であるとともに、空間をこえて都と地方とが接する場でもあった。浄土真宗寺院はまさに、信仰と美とに関わる、そして都と地方とに関わる信仰文化を考えるための、格好の場であると言うことができるだろう。