こうした農漁村を市場とする行橋町は近代においても豊前の行政、商工業の中心地となった。行橋町には、裁判所、税務署、土木管区事務所、警察署など国や県の出先機関あるいは京都郡役所が次々に設置され、また近代的な金融機関、企業も設立された。第八十七国立銀行や豊州鉄道、行橋電灯などがそれである。これらの企業の活動は行橋町民に新たな時代の到来を実感させるものであったに違いない。
とりわけ鉄道業は行橋の発展に大きな影響を与えた。北九州地方と結ぶ九州鉄道と、筑豊地域と結ぶ豊州鉄道とが行橋で結ばれ、行橋は鉄道の結節点となったのである。行橋には豊州鉄道の工場(九州鉄道管理局行橋工場)が置かれるなどして多くの鉄道業関係者が従事した。また、大正期、この行橋駅を中心として市街地造成が行われ、次第に商工業の中心地が駅前に移っていった。