行橋地域では一九二〇年代から小作争議など農民運動が活発になり、三〇年代に入っても、小作争議のほか、京都無産者診療所の開設、「社会新聞」の発行など多様な運動が展開されていた。こうした運動に大きな影響を与えたのは行橋に開校された堺利彦農民労働学校であった。
農民運動とともに水平運動も独立系水平社・自治正義団が設立され、活発に展開された。普通選挙実施後、以上のような社会運動を背景に無産政党員や農民運動家が行橋地域の町村議会に進出したばかりか、国会にも進出している。
しかし、無産政党運動や農民運動は、政府の弾圧と繰り返された分裂によって次第に影響力を失っていった。