郡議会と町村議会

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 すでに述べたように、当初、郡議会議員は郡内の町村議員と地価一万円以上の土地所有者によって選ばれることになっていた。明治三二年からは直接選挙に変わったとは言うものの、選挙権は直接国税三円以上の税金を納める二五歳以上の戸主に、被選挙権は直接国税五円以上を納める者に限定された。有産者にだけ与えられた自治であった。京都郡でどのような人々が郡会議員に選ばれたのか明らかではない。郡制実施に先立って公表された名簿によると、地価一万以上の土地を所有する行橋地域の大地主は柏木勘八郎、堤猷久、福島甚六、米原善治(以上、行橋町)、陣山律藏、守田鷹太(以上、今元村)らであった。大地主は三分の一を互選することができ、定員は二四名であったから、これらの人々の多くが郡会議員になったわけである。これらの人々の内、屈指の有力者であった柏木勘八郎は郡制実施とともに郡会議員となり、郡会では郡参事会員として、郡政で活躍した。明治三二年に直接選挙になったが、その選挙資格が厳しく制限されていたことはすでに述べた。明治三九年の郡議会議員を挙げておくと表4のようになる。
 
表4 明治39年の京都郡郡会議員
議員名住所議員名住所
和田又八郎苅田村村上栄続今元村
玉井美智穂小波瀬村磯村保平蓑島村
森本市五郎白川村城戸厳治仲津村
松本定之椿市村進古太郎祓郷村
長野米太郎諌山村宮下賢造豊津村
木村松次郎久保村宇野寅彦犀川村
木村藤太郎黒田村高田常松犀川村
村上欽次郎稗田村中村大三郎犀川村
古川右衛延永村進宗太郎節丸村
長野盛徳行橋町藤川長治城井村
柏木守三行橋町小野定次郎伊良原村
小熊惣太郎今川村  
出典:古田隆一『福岡県全誌 付録』明治39年

 町村議会の様子がわかる資料や記録はほとんど残されていないので、行橋町の町議会の様子を昭和三五年に編纂された『行橋市史』によって見てみよう。同書によれば、初の町会議員は長野盛徳、井道九市、飯野善平、玉池彦四郎、佐々木加太郎、桝見茂平、草野信吉、富永方雄、犬塚弥太郎、福島甚六、森定蔵、山本勝平、中野祐太郎、進祐造、末広文六、松本清治、森昇蔵で、町長が片山豊盛であった。
 町会は今元村元永の片山町長宅で開かれ、議員は紋付、羽織、袴で威儀をただし議案を審議したと記されている。町会が済むと、決まって宴会になったらしい。ただし、当時の議員は名誉職で無給であったし、宴会費は自腹であった。