京都郡の財政

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 町村の財政支出の中で、教育費や役場費とともに大きな比率を占めたのは郡費負担であった。当時の郡はどのような役割を果たしていたのであろうか。京都郡財政について見てみよう。表5によれば、郡の歳出は、明治三五年には土木費が歳出の七七%と圧倒的比率を占め、勧業費がそれに次いでいる。町村財政で大きな比重を占めた教育費は、明治三五年時点で一%を占めるに過ぎない。
 
表5 京都郡歳出歳入(単位:円、%)
項目明治35年比率明治37年比率
歳入財産収入33304681
雑収入64417042
各町村分賦金28,2153622,96862
繰越金34209713
国庫補助5001
県費補助39,1434911,40031
郡債10,55613
寄付金1590
歳入合計79,39210037,011100
歳出会議費1,24526792
土木費61,0757721,61158
衛生費46311881
教育費65513,0858
勧業費2,6703580
郡債6,10016
その他4,02458122
歳出合計79,39210037,012100
出典:『京都郡歳入歳出決算書』

 土木費は今川、祓川、長峡川の堤防の修築や道路、橋梁の建設、修繕、町村による溜池の造成などからなっている。勧業費は農事講習会、林業・農業技手の俸給、農会への補助が主たる支出項目である。町村財政が過重な教育費負担を強いられていたのに対し、郡財政は郡内の生活基盤整備や農業基盤整備事業を主に担っていたと言えよう。
 ただし、郡は課税権を持たなかったから、こうした財政支出は主として県の補助と各町村への賦課金で賄われていた。
 なお、表5によれば、明治三七年には郡の財政支出が大きく減少しているが、これは日露戦争のために、財政支出を切り詰めるよう政府の強い規制が働いたためである。京都郡では当初予算を二八%もカットすることを強いられ、堤防の修築や農会への補助が中止された。